『返校 言葉が消えた日』が称賛された理由とは―― <後編>年代別!映画から台湾の歴史を知る
Cinem@rtでは2か月連続で映画を特集中! 7月のテーマは「台湾映画」! 今年、日本では6月~8月に多くの新作台湾映画が公開に。まさに台湾映画を味わうべき今年の夏、新作映画を切り口に台湾映画を楽しむコラムやインタビューをお届けします。
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映画から台湾の歴史を学ぶ
映画『返校 言葉が消えた日』のヒットの要因のひとつに、自分たちの歴史を知ることが大きく作用したと前編で述べたが、これは台湾映画界において、とても重要だ。
台湾では1987年に戒厳令が解除され、その後民主化と本土化の動きが進み、それにより学校で習う歴史が国民党政権による中国史を中心とするものから、台湾を中心とする郷土教育へと方針転換された。
その前の日本統治時代は、歴史の授業は日本史だった。つまり、台湾の人々は長い間台湾の歴史を学校で教えられなかったのだ。その台湾の歴史を、映画を通じて伝えようという考えのクリエイターは少なくない。
『セデック・バレ 太陽旗/虹の橋』が伝えた台湾の誇り
台湾人は、1949年に国民党と共に中国から渡って来た漢民族と、ホーローと呼ばれる明朝末期に台湾に来た漢民族、清朝時代に来た漢民族(客家人)、そしてそれらの漢民族が移住してくる前からいた原住民の、大きく4つに分けられる。この中の少数民族である原住民と、日本が統治していた時代の日本人が衝突したのが霧社事件だ。
この1930年10月27日に台湾の「霧社」(現在の南投県仁愛郷)で起きた日本統治時代後期最大の抗日蜂起事件を、ウェイ・ダーション(魏徳聖)が長い時間をかけ心血を注いで、前・後編あわせて約5時間という大作を創り上げたのが『セデック・バレ 太陽族/虹の橋』(おうちでCinem@rtで配信中)だ。金馬奨では作品賞、観客賞、助演男優賞、最音響効果賞、オリジナル音楽賞と5部門を制し、大ヒット。歴代興行収入は前編が2位、後編が8位である。
台湾中部の山岳地帯に住む誇り高き狩猟民族・セデック族が、日本統治によりその平穏な生活が奪われていく。日本人警察官とセデック族の一人のちょっとした衝突をきっかけに、長らく抑え込まれてきた住民たちが、一族の長モーナ・ルダオを中心に立ち上がる。運動会が行われている小学校を襲撃した決起部隊の手によって、多くの日本人の命が奪われた。そして日本軍と警察の反撃により、セデックの戦士たちも命を落とし、女や子供たちもまた祖先の待つ虹の橋を渡る……。
この映画を見ての受け止め方は人それぞれだが、監督は、文化と信仰の衝突という描き方で、やっと事件に関わった人々に代わってこの物語を伝えることができた、と語っていた。
◆映画『セデック・バレ 太陽旗/虹の橋』予告編 uzumasafilmチャンネル
◆『セデック・バレ』メイキング 安藤政信(小島源氏役)編 TheARSFilmチャンネル
◆『セデック・バレ』メイキング 河原のぶ(鎌田彌彦役)編 TheARSFilmチャンネル
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