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【タイ・チベット・トルコ】書評家 長瀬海さんが教えてくれる、アジアの中の政治と文学/オススメ本3選

はじめての人に読んで欲しい、この3冊

タイ



新しい目の旅立ち 

著者:プラープダー・ユン
訳者:福冨渉
国内出版社:ゲンロン 


「ぼくはいったいなにから逃げているのか?」 ひとりの現代タイ作家がそんな問いを胸に抱きながら、辿り着いたのは、バンコクから遠く離れたフィリピンのシキホール島だった。文明の未だ訪れていない南洋の孤島を探索しつつ彼が考えた軌跡を綴ったこの本は、紀行文と哲学的エッセイがとけあったような散文となっている。作者の言葉を借りれば、それは「思考の旅の記録」なのだ。

この島で生活を送る以前、「ぼく」は、自然とは人間と次元の異なる、神聖なものであると信じていた。その信条さえあれば、多くの人々を地球環境の保護活動に導くことができると思っていた。そして、シキホール島にはそのためのヒントがあると考えていた。けれど、「ぼく」は島の時間に身を委ね、彼らの文化、風習に触れながら、同時にオランダの哲学者スピノザの著書を読むことで、その間違いに気づいていく。

シキホール島で暮らす魔女、彼女たちの使う黒魔術、憧れていた孤立した生活、地球から失われつつある豊かな自然。その全てが「ぼく」の信念を打ち壊し、都市に生きる人間である作者に自然とともに生きることの意味を再考させるが、彼の思想が作り直される様を目撃した読者もまた、世界との関わり方について考え直さざるを得なくなる。

現代タイを代表する作家が魅せる研ぎ澄まされた文章を通じて、自然とは何か、人間とは何かを思弁するための「新しい目」を獲得する、稀有な体験ができる一冊だ。


チベット



ハバ犬を育てる話

著者:タクブンジャ
訳者:海老原志穂・大川謙作・星泉・三浦順子訳
国内出版社:東京外国語大学出版会 


チベットには「昼間は人だが、夜は犬になる」ということわざがあるらしい。チベットの人々にとって犬という生き物は、それだけ特別な、人間に近しい存在だということだろうか。この短編小説集の端々からは、チベットの広大な高原で、健気で賢い愛玩犬たちとともに生活を営む遊牧民のイメージが立ち上がってくる。アジアの秘境のそうした長閑な情景のなかで渦巻いているのは、人間の強欲、浅ましさだ。

例えば表題作では、擬人化された犬が主人の仕事を手伝うのだけど、そのうち出世欲がふつふつと湧いてきて、文字通り権力の犬と成り下がる様が描かれる。滑稽なハバ犬を笑い飛ばそうとする私たちは、けれど、どこか苦々しさを拭えない。だって、これは人間そのものの姿なのだから。

あるいは、狂犬病を食い止めるために全ての犬を駆逐しようとする「犬殺し運動」に翻弄された人々を描いた一編。実際に行われたキャンペーンを基にしたこの作品は、結局のところ社会的混乱を生み出すのは人間の外敵ではなく、私たち自身の愚かさなのだという、なんとも2020年の現在にも通用するアクチュアルな教えを説く。はたまた、一匹の犬を殺してしまったために精神状態が掻き乱れていく村人を描いた短い物語は、ロシアの大家、ドストエフスキーがかつて主題としたような「殺し」という罪を背負った人間の心理を写し表す。

私利私欲に突き動かされる人間の罪深さはいつ、どこにおいても変わらない。チベットの草原に湧き上がるエゴイズムを物語のなかに象ったこの作品集は、そんなことを教える。


トルコ



赤い髪の女

著者:オルハン・パムク
訳者:宮下遼
国内出版社:早川書房 


オルハン・パムクは2006年にノーベル文学賞を受賞した、世界文学の最高峰に位置する小説家だ。彼はアジアとヨーロッパの境界に位置するトルコを舞台に、東西の文明がぶつかり合う衝動を小説のなかに描き続けている。

彼の代表作で、16世紀末に皇帝の工房に仕えたひとりの絵師の死の謎に迫った『わたしの名は赤』は、細密画という東の伝統と西欧絵画の狭間で揺れ動く人々の声が響き渡る長大な物語だった。東か、西か。文明が衝突するトルコとは一体なんなのか。この問いは、2016年に発表(日本では2019年に刊行)された『赤い髪の女』にまで引き継がれている。

ある日、父親が失踪した。父のいなくなった家で母と二人で暮らすジェムは、井戸掘りの仕事を見つける。親方の厳しい指導を受けながら労働に励んでいた彼は、ある夜、街で赤い髪の女に一目惚れをした。彼女との一夜限りの逢瀬に酔いしれていたジェムだったが、ある事故を起こしてしまい、街から離れることとなる。やがて時が経ち、地質調査技師となり一財を築いた彼は、かつて親方と井戸を掘った街に再び足を踏み入れる。そこでジェムを待ち受けていたのは、彼の血を巡るある事実だった――。

作中、ジェムは東西における子殺し・父殺しの物語に取り憑かれていく。父が子を殺してしまう東洋の叙事詩『王書』。ギリシャ悲劇の代表的作品で、父殺し物語の代名詞でもある『オイディプス王』。作者は東西の古典を対立させながら、父と子の相克という、いにしえからの文学的主題に一つの結論を導き出した。こうした抽象的なテーマが、イスタンブールというヨーロッパとアジアの文化が混交する街の変遷のなかで語られていることもあり、小説からは、作者が問うてきたものが何なのかが、はっきりとした輪郭を持って浮かび上がってくる。オルハン・パムク入門としても最良の作品である。



長瀬海

書評家/ライター、千葉県出身。桜美林大学非常勤講師。文芸誌、カルチャー誌にて書評、インタビュー記事を執筆。「週刊読書人」文芸時評担当(2019年)。「週刊金曜日」書評委員。翻訳にマイケル・エメリック「日本文学の発見」(『日本文学の翻訳と流通』所収、勉誠社)共著に『世界の中のポスト3.11』(新曜社)がある。2019年4月より一年間、神保町チェッコリで、アジア文学読書イベント「アジア文学の誘い」を主宰。 Twitter @LongSea

Edited:岡崎暢子(韓日翻訳、フリー編集者)

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