韓国映画に求められる多様性―中国朝鮮族の描写から考える
筆者の好きな映画に『哀しき獣』(2010)という作品がある。
『チェイサー』(2008)で注目を集め、『哭声/コクソン』 (2016)で “巨匠”の名を欲しいままにしたナ・ホンジン監督の第2作である。
まさに彼にしか描けないだろうと言わんばかりの、韓国ノワールの集大成的暴力描写が続き、2時間以上の上映時間も相まって、観ている者に徹底的に心地よい疲れをもたらす。と同時に、主人公2人が演じる中国朝鮮族の人々から、強烈な“悪”のイメージを抱いた観客も多いのではないだろうか。
ほぼ10年前の作品であるが、この作品だけに限らず、韓国映画の中で、中国朝鮮族の人々が“悪人”として描かれるパターンは少なくない。
例えば、日本でも公開された韓国で550万人を動員した大ヒット作『ミッドナイト・ランナー(原題:青年警察)』(2017)。表面的には日本でも人気のパク・ソジュンと若き演技派のカン・ハヌルの2人が演じる警察大生が、目撃した拉致事件に巻き込まれながら起こるストーリーを描いたさわやかな青春アクションだが、劇中に登場する中国朝鮮族の暴力団が、日常的に麻薬の密輸や強盗、殺人を行ったり、臓器や女性の卵子を強制的に取り出して販売するなど、極悪非道な者として描かれている。
同じく2017年公開のマ・ドンソク主演『犯罪都市』でも、中国朝鮮族のマフィアと警察との抗争が描かれおり、さらには、その暴力描写が実に強烈だった。
ここに挙げたのはあくまで一例であり、本篇と深く関わっていないキャラクターであっても、韓国映画に登場する中国朝鮮族の人々の描き方は、(もちろんそうではない作品もあるが)かなり偏っており、韓国映画を愛する一人の観客として、どうしてもこの一方的な描き方には、常に違和感を持たざるを得なかった。
多分、日本人の観客にとっては、作品における単純な悪役として認知され、それほど深く考える人は少ないかもしれない。しかし、韓国映画でこうした描写が多いというのは、それなりの理由があり、そこには、日本人にはあまり知られていない差別意識が存在するのである。
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