ドラマ「楽游原」舞台となった時代/楽游原ってどんな場所?|中国時代劇トリビア#125
©Beijing Qishuo Film Co., Ltd
「瓔珞<エイラク> 〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜」「雪華の炎~揺るぎない誓い~」のシュー・カイ(許凱)と、「ハンシュク~皇帝の女傅」といったドラマ作品から海外の映画作品にも出演するジン・ティエン(景甜)が、相対する皇帝の孫と将軍の娘を演じ、話題沸騰となったロマンス・アクション時代劇「楽游原」。今回はこのドラマについて、気になるトピックを探っていきたいと思います。
ドラマ「楽游原(らくゆうげん)」の舞台となった時代
ドラマ「楽游原」の歴史的背景は架空の王朝であり、中国史上の特定の王朝に具体的に対応するものではありません。しかし、景色を楽しむために高官を訪問する習慣から、唐時代風のメイクまで、劇中に後期唐風の痕跡を見つけることができます。
このユニークな歴史的背景設定はプロットに多くの影響を与え、さまざまな政治勢力の死闘と主人公たちの成長と心の旅を描いた、壮大かつ繊細な歴史画のような作品に。当時の歴史的・文化的背景を垣間見ることができるとともに、劇中のさまざまなディテールや情景の描写を通じて、当時の人々の生活状況や社会的特徴についての理解を深めることができます。
「楽游原」ってどんなところ?
晩唐期の詩人、李商隱の漢詩などにもある「楽游原」。このドラマのタイトルでもある「楽游原」とはどんなところなのでしょうか?
「楽游原」は、前漢の宣帝(前74年‐前48年)が造営した「楽游苑」に由来し、『漢書 宣帝紀』には、「神爵3年、起楽游苑」とその起こりの記録が残されていています。郊外の高原保養地であった「楽游苑」ですが、やがて都城の変遷に伴い、その主要な部分が郊外から城内に入ることになり、またその名称については「苑」と「原」の字音が近い諧音であるため、「楽游原」となったとされているそうです。「楽游」の意味としては、宣帝自身が即位前に郊外の「楽游苑」のあたりの地を好んで、よく滞在して過ごしており、そんな自由気ままに楽しく遊んだ若き日々への懐かしみから、と考える専門家もいるそうです。
唐時代中期から後期まで、楽游原は首都の人々が訪れるのに最適な場所で、長安の中でも最も標高が高く、観光もしやすいことから、文人たちが詩を詠み、思いを吐露するためによく訪れました。そして唐の時代の詩人は楽游原に多くの詩句を残し、先にあげた李商隱もそうした人の一人です。かつての「楽游原」では多くの人が集い、野宴なども催されたとされますが、安史の乱以降はすたれ、荒原となっていきます。宣帝ゆかりの地であり、王朝の興亡、盛者必衰の理を痛感させられる場所である「楽游原」に立つことで、詩人たちは過ぎた去った時に想いを巡らせ、世を憂い、たくさんの詩が生まれていったと考えられているそうです。現在、西安市の「西安楽游原(楽遊原)」は、隋唐時代に建てられた青龍寺の遺跡を中心に建てられた、美しい花の風景で知られる観光名所となっています。
劇中でのかの地は、現実的な場所というよりは、かつての宣帝が求めたような、ある象徴的な場所として描かれています。いったい物語の中ではこの地が何の象徴となっていくのか……は、ぜひ、ドラマを観て、理解を深めて頂ければと思います!
WOWOWにて、2024年6月6日(木)スタート
毎週木曜午後8:00(2話ずつ放送)
全40話・字幕版/第1話無料放送
※WOWOWオンデマンドでアーカイブ配信あり。
https://www.wowow.co.jp/
Text:島田亜希子
ライター。中華圏を中心としたドラマ・映画に関して執筆する他、中文翻訳も時々担当。Cinem@rtにて「中国時代劇トリビア」「中国エンタメニュース」を連載中。『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『見るべき中国時代劇ドラマ』(ぴあ株式会社)『中国ドラマ・時代劇・スターがよくわかる』(コスミック出版)などにも執筆しています。
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