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ドラマ「鳳凰伝」から「雑技」を探る:後編|中国時代劇トリビア#55

前編はこちら

 「鳳凰伝」場面写真

前半では雑技芸人たちの誕生と様々な歴史を紹介しました。では雑技や芸人の出身でありながら、葉凝芝のように宮廷で貴妃までのぼりつめることは可能なのでしょうか?

時は唐の時代。玄宗皇帝は、雑技芸人の造反を恐れ、芸人が全国に流浪して活動することを許さなかったかわりに、芸人たちを自分の元に集めました。こうした中で、容姿が美しく、芸にも優れた女芸人たちを選抜して「宜春院」に入れ、この内、皇帝の寵愛をうけた者を「十家」と称しました。

ドラマの中では、葉凝芝は後宮の人材を育成する「梨花学堂」にもぐり込み、宮女になりましたが、芸人という身分であっても、こうした宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関、いわゆる教坊のような場所に入ることで、皇帝が目を留める機会を得る可能性はあったのかもしれません。

「鳳凰伝」場面写真1

ドラマ「賢后 衛子夫」でも、元は武帝の姉・平陽公主の屋敷で歌妓となった衛子夫が、武帝の寵愛を受けて後宮に入る……という、身分の低いヒロインが皇后へとなる物語が描かれており、様々な女性が宮廷には存在したのだということが分かります。

貞元21年(805年)、衰退した唐帝国は、経済的負担から、宮中にいた600名の女芸人を解放することを決めます。この宣布を聞いた親族や家族たちは門外につめかけ、妻や娘が出てくると、雷鳴のような歓声があがり、万歳の声が叫ばれたそうです。

時の統治者によっては、雑技は娯楽・芸術としても愛されてもきました。さかのぼって三国の時代。曹操は瞑想、気功、などの方術を操る方士を信じず、不老長寿を求めようともしませんでした。そして玄宗と同じように、こうした芸人・方士らが群れとなって民間に散り、乱を策謀するのを恐れ、心許さず、優れた芸人や方士を自分の元で整備し、娯楽として用いました。

「鳳凰伝」場面写真2

これに対し、曹操の子の曹丕は、雑技や馬戯を見るのが好きなばかりでなく、自ら口技(動物の鳴きまねなどする技)を学んだそうです。弟の曹植の詩の中には、宴で披露された雑技を詠み込んだものがあり、魏の明帝も雑技を愛したと言われています。

様々な側面を持つ雑技の世界は、とても奥が深いものだったのですね!

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【参考文献】
傅起鳳 傅騰龍 著 岡田陽一訳「中国芸能史―雑技(ざつぎ)の誕生から今日まで」株式会社 三一書房
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Text:島田亜希子
ライター。中華圏を中心としたドラマ・映画に関して執筆する他、中文翻訳も時々担当。『台湾エンタメパラダイス』『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)にて執筆記事掲載中。

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