ドラマ「鳳凰伝」から「雑技」を探る:前編|中国時代劇トリビア#55
雑技団で活躍していた美しきヒロイン・葉凝芝が、宮廷で出世していく姿を描いたドラマ「鳳凰伝~永遠(とわ)の約束~」。実は中国の歴史とも関係が深い“雑技”について、ご紹介していきます。
京劇とならんで中国の代表的芸術としてよく知られている雑技。中国を訪れた際に、実際に鑑賞された方もいらっしゃると思います。雑技の歴史は古く、二千余年の昔から民間の人々を中心に親しまれてきたと言われています。というのも、雑技は労働の動きから生まれたものでした。竹竿に上る技の「尋橦(じんとう)」はもともと労働技術で、回転や高跳び、綱渡りなどの雑技の基本動作も、日常生活の労働の中の動きとは無縁ではありませんでした。
春秋戦国時代には、すでに宮廷には「倡(しょう)(歌唄い)」や「優(役者)」といった芸人がおり、さらにこの時代には各国が覇権を争い優秀な人材を集めて、「士(士大夫階級の士)」を養う風潮が生まれていました。この「士階層」の中から武術を持つ兵士(武士)・力持ちの力士・文士・策士・占士・術士……といった特殊な技を持つもものが生まれ、彼らがやがて雑技専門の芸人の出どころとなっていったのです。
民間でも早くから芸を売って収入を得る人たちが現れ、発掘された壁画の中には多くの雑技団の姿が描かれていますが、そのほとんどは被葬者のために演技をする芸人たちだったそうです。雑技芸人の多くは、雑技が特に盛んになる場所、例えば盛唐の代の洛陽一体、宋・元代の杭州の西湖畔、明・清代の北京の天橋などに近い農村に住み、そこを拠点に遊芸をしていました。やがてあちこちに散っていた雑技の一家が集まって集落を形成し、代を経て世襲的な雑技の故郷となっていきます。
こうした土地は必ずしも農耕に適した土地ではなく、冬の閑散期には寄り集まって家単位、隣近所と組んで売芸の旅にでかけ、春の種まきと秋の収穫期に戻って農業を行なうといった半農半芸の生活を送り、生活の糧を得ていました。
漢代に発展し、唐から宋の時代に民間にも浸透していったという雑技ですが、明・清代ともに雑技の地位は低く、しばしば迫害に遭遇します。重税から逃れ、故郷を離れて芸を売る流浪の道を選ぶものもいれば、やむなく農民一揆に加わるものもいました。多種多様な技と知恵を持った彼らは、一揆側に歓迎されます。そこで芸人たちは、スパイ活動を行ったり、幻術を利用して「奇跡」を作り出して人々の心をつかみ、時として兵を育成する教師として招かれたりもしていったのです。
やぐらに跳び乗り、壁を登り、騎馬上で弓を射、格闘技にも優れるといった人材が、彼らによって次々と育成されていきます。「鳳凰伝~永遠(とわ)の約束~」にも登場するような、手品や奇術をつかった予言や扇動は、実際にも行われていて、人々を動かす手段となっていたのは驚きですね!
<後編へつづきます>
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【参考文献】
傅起鳳 傅騰龍 著 岡田陽一訳「中国芸能史―雑技(ざつぎ)の誕生から今日まで」株式会社 三一書房
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Text:島田亜希子
ライター。中華圏を中心としたドラマ・映画に関して執筆する他、中文翻訳も時々担当。『台湾エンタメパラダイス』『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)にて執筆記事掲載中。
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