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日本における華流の軌跡《前編》

雑誌『和華』コラボ企画!
毎号1つのテーマを徹底的の掘り下げ、日中文化の魅力を再発見する雑誌『和華』。Cinem@rtでは『和華』の注目記事をご紹介! 今回は中国ドラマファン必読!「華流」がテーマの最新号(38号)より注目記事をお届けします。
『和華』HP:https://visitasia.co.jp/waka/


文/如月 隼人 写真/CNSphoto

日本では1980年代にカンフー映画やアクション映画など香港映画が大流行し、1988 年にチャン・イーモウ監督の『紅いコーリャン』が紹介された。やがて日本のエンタメ業界ではコンテンツ不足を解消するためBS やCSで中国の歴史・宮廷ドラマが増え始め、特に2013 年の「宮廷の諍い女」が反響を呼んだ。ここでは1960年代から現在までの日本での華流の軌跡をまとめた。

映画は早くから発展したが、テレビドラマの出足は遅れた

 広西チワン族自治区桂林市
写真/CNSphoto

 中国では第二次世界大戦前から大都市を中心に映画館が作られて、多くの人が足を運んだ。1949年10月1日に成立した中華人民共和国(新中国)も映画制作を重視した。

 中国の映画界では1960年代前半までに、多くのの記憶に残る佳作が多く登場した。その一例として、1960年に長春映画製作所が制作した『劉三姐(リウサンジエ)』をご紹介しよう。物語の舞台は広西チワン族自治区だ。正義感にあふれる若い女性が悪辣な地主を打ち破るという、いかにも「新中国」らしいストーリーだが、この作品には桂林に代表される広西の美しい景色がふんだんに使われた。

 現在の中国中央電視台(中国中央テレビ、CCTV)の前身が試験放送を開始したのは1958年5月1日だった。6月15日には、中国で制作された初のテレビドラマ「一口菜餅子(イーコウツァイビンズ)」が放送された。この作品は今でも中国の偉大なる母を象徴する作品となっている。

 しかしその後、中国ではごくわずかな数のテレビドラマ作品が散発的に制作されるだけだった。大きな原因の一つはテレビ受信機の普及が遅れたことだ。

 当時の中国では、一般庶民が個人としてテレビを買うことは、ほとんど考えられなかった。また、テレビ受信機の生産量は極めて少なかった。当時の中国に、テレビドラマが盛んになる条件は整っていなかった。

 テレビドラマが急速に発達し始めたのは、テレビ番組が人々の生活に溶け込み始めた1980 年代だった。中国初の連続ドラマは1980 年に放送された「敵営十八年」だった。

 初期の重要な連続ドラマとしては、1982 年放送開始の「西遊記」と、1987 年開始の「紅楼夢」がある。「西遊記」は京劇なども取り上げる題材であり、「紅楼夢」は上海などに伝わる越劇の代表作品でもある。中国ドラマの主要作品は、伝統劇と密接なつながりを持っていた。また、「西遊記」で多かった中国各地の雄大な風景を利用したロケ撮影も、その後の中国ドラマの「大型作品」に受けつがれていくことになった。

日本の作品が中国のテレビ・映画界に強い刺激

高倉健氏(左)とチャン・イーモウ監督(右)
写真/CNSphoto

 新中国は建国当初、同じ社会主義国ということでソ連との関係が極めて良好だったが、1960年代には中ソ関係が悪化した。中国でソ連映画が新たに公開されることはなくなった。西側の作品を受け入れるともなく、中国では映像作品について「鎖国状態」になった。

 状況が劇的に変化したのは、1970年代後半からの改開放政策だった。西側の一部の映画作品や日本のテレドラマが紹介され、大人気を博すようになった。影響力が特に大きかったのは、映画作品では日本の『君よ憤怒の河を渡れ』のようなアクションものや、山田洋次監督の人情ものだった。出演した高倉健や中野良子は中国にとっても「あこがれのスター」になった。テレビドラマでは、山口百恵が出演した「赤いシリーズ」が大ヒットした。山口百恵もまた、中国人にとっての「国民的女優」になった。

 中国での大人気の理由には、多くの中国人が今まで接したことのない映像や表現があり、さらには日本という「異国」の光景を目にして、「改革開放で、わが国は大きく変わりつつある」と実感したこともあったという。これらの日本作品は、多くの中国人にとって「あの時代」を思い出す“アイコン” にもなった。

 日本の作品に刺激を受けたのは、中国の業界人も同様だった。それまでの中国作品は、「集団としての視点」をより重視していた。しかし日本の作品は「家族としての思い」や「個の自由」といった内容がより濃厚だった。日本のドラマはその後の中国作品の「切り口」に影響を与えることになった。


戦後日本における中国映像作品「事始め」

 第二次世界大戦後の日本で一般大衆の心をつかむことにまず成功した中華系の作品は、他の西側諸国と同様に、香港映画だった。代表作には日本で1973年に公開されたブルース・リーの『燃えよドラゴン』や1979 年に日本で公開されたジャッキー・チェン『ドランク・モンキー酔拳』などがある。

 中国大陸の映画界も、香港映画の成功に注目した。そして中国大陸側と香港の合作により『少林寺』が制作され、1982 年に公開された。この「観客に武術の技を堪能させる」手法は、その後「武侠ドラマ」にもつながっていく。またこの作品は、大陸ならではの雄大な自然の風景も圧倒的だった。この作品も日本で公開されて好評を得た。

 なお、「武侠もの」のドラマが歓迎された背景には「武侠小説」と呼ばれる大衆小説がかなり早くから人気を博していたことがある。代表的な作家である香港人の金庸(1927-2018)は1950年代から1970年までヒット小説を次々に世に出した。金庸の小説がドラマ化されて人気を呼んだこともある。

 また、1986年には香港のアクションホラーコメディ映画『霊幻道士』が日本で公開される。中国古来の伝承に現れる妖怪「キョンシー」は、腕を前にまっすぐ伸ばし、ぴょんぴょんと飛ぶ動きと共に大流行し、その後も多くのキョンシ-シリーズが作られるとになる。

 1987年製作で日本では1989年に公開された張芸謀(チャン・イーモウ)の初監督作品である『紅いコーリャン』は、日本を含む全世界で鮮烈な映像美が極めて高評価された。中国の映像作品がその「特殊性」だけでなく、「普遍的価値」の面でも高く評価されたという、記念碑的な作品だ。なお、同作品の原作の著者である莫言は2012 年にノーベル文学賞を受賞した。

『和華』第38号
『和華』表紙

「和華」第38号
テーマ:「華流の世界へ」

2023年7月19日(水)発売 850円(税)
出版社 ‏ : ‎ アジア太平洋観光社
『和華』HP:https://visitasia.co.jp/waka/

《特集内容》
特集1
・日本における華流の軌跡
・YouTuber李姉妹がナビゲート 華流ドラマ予備知識10
・和華イチオシ中国ドラマ13選
・多種多彩な中国ドラマと多種多彩な「お楽しみの流儀」:如月隼人氏(中国・アジア情勢ウオッチャー)
・ドラマや映画の生まれる場

特集2
・華流を通じた日中交流物語
・自然体で飄々と真実を撮り続ける:竹内 亮 氏(ドキュメンタリー監督)
・INTERVIEW:水野衛子氏(中国語字幕翻訳家)、蒋雯氏(監督・俳優・演出家)、仲偉江氏(株式会社フォーカスピクチャーズ 代表取締役)
・豆瓣(ドウバン)から見る中国人の好きな日本のドラマは? 興行収入から見る中国人の好きな日本の映画は?

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