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ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督来日!記者交流会レポート「制作の動機が非常に受動的なんです」

台北駐日経済文化代表処台湾文化センターは、東京国際映画祭、東京フィルメックスとの共催で、「ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督デビュー30周年記念特集」を開催。両映画祭にとってこれが史上初の共催企画となる。

それにあわせ、ツァイ・ミンリャン監督が俳優のリー・カンション(李康生)さん、 Anong Houngheuangsyさんらとともに来日。彼らを囲んで、10月27日台湾文化センターにてメディア交流会が行われた。

          
ツァイ監督と両映画祭は関わりが深く、1993年に『青春神話』が東京国際映画祭ヤングシネマ部門ブロンズ賞を受賞、その後も東京フィルメックスにてほとんどの作品が上映されている。

そのおかげで今日まで映画を撮り続けることが出来た(ツァイ監督)

ツァイ・ミンリャン監督(以下、ツァイ監督) 皆さんこんにちは。先ほど台湾文化センターの謝長廷代表が『西瓜』での思い出を話してくれましたが(※)、当時の台湾映画は日本をはじめ世界の映画ファンに今まで見たことのない世界を届けたと思っています。

当時、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督が世界で有名になり、台湾映画が次々と制作されましたが、興行収入は振るいませんでした。それでも台湾政府は、助成金という形で映画製作を非常に応援してくれました。脚本を提出し、内容が良ければ助成金を出してくれました。とても素晴らしいと思うのは、台湾政府が国際映画祭で受賞した作品に対しても助成金を出してくれたことです。私のような興行的には成功しづらい監督も、そのおかげで今日まで映画を撮り続けることが出来、どうにか生きながらえてきたわけです。

先日、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で私の回顧展が開催され、今回、東京国際映画祭と東京フィルメックスが私の特集上映を組んでくださいました。これは非常に光栄なことです。監督デビュー30周年ということですが、時が経つのは早いですね。アッという間に私も60歳を過ぎました。私の胸の中は感謝でいっぱいです。このように台湾映画を受け入れてもらえる場所が無ければ、私が映画を撮り続けることは難しかったでしょう。本当に感慨深いです。人生は無駄ではなかった、こうして生きてきてよかったと感じています。

ありがとう、台湾、日本、そして台湾の観客の皆様、日本の観客の皆様。心からこの言葉をささげたいと思います。

※台湾文化センター謝長廷代表がメディア交流会の冒頭で、ツァイ監督との忘れられない思い出として「生まれて初めて、一千万新台湾ドルという凄い大金を、高雄市からの奨励金としてツァイ監督にお渡ししました。そのお金でツァイ監督がお撮りになったのが『西瓜』でした」と明かし、「ここに『西瓜』のポスターが展示されていますが、台湾版ポスターとはデザインが違いますね。台湾版はこんな大胆な感じでは……」と会場の笑いを誘った。


リー・カンションさん 僕も30年間映画に携わってきて、54歳になりました。日本で私達の映画が上映される機会はとても多かったと思います。映画祭や劇場で日本の多くの方々にご覧いただきました。最近では日本の合作映画に出演する機会が増えました。『ホテルアイリス』や『Come & Go カム・アンド・ゴー』、現在は蔦哲一朗監督の『黒い牛(仮)』を撮影中です。私にとって映画は文化交流のひとつだと思っています。日本の観客の皆さんに感謝したいと思います。ありがとうございます。

 

私は、制作の動機が非常に受動的なんです(ツァイ監督)

― ツァイ監督は、日本ファンの存在を、どう受け止めていますか?

ツァイ監督 戦後の日本の素晴らしい監督達が世界に影響を与え、台湾にも非常に多くの影響を与えました。黒澤明監督、小津安二郎監督、大島渚監督などの監督達ですね。そして非常に光栄なのは、台湾の監督も日本の観客に影響を与えていると思います。

私の日本のファンの方々は年齢層が非常に幅広く、その中で一番お年を召している素晴らしい観客は、黒澤明監督のスクリプターをやっておられた野上照代さんですね。彼女は私の映画を好んで観てくれています。また、俳優の三田村恭伸さんも私のファンで、いつも最前列に座って今日まで私の映画を観てくれた方なんです。そして『楽日』に出演することになりました。このように日本の観客と私の関係はいろいろな形があります。

私は、昔から私の作品を観てくれている観客に興味を持っています。そういう観客の方々は、私が制作スタイルを変えるたびに共に歩んできてくれました。ただ、制作スタイルが変わっても私が絶えず求めているのは、映画をどのように自由に開放的に撮るか、その一点です。現在、劇場でかかる映画はジャンル映画がほとんどで、映画の幅の広がりがないと感じています。ヨーロッパの観客は、美術館の活動と結びついた見方をしているので様々なスタイルの映画を受け入れる素地を持っているように感じます。日本の観客もヨーロッパの観客に非常に似ていると思います。最近の私の作品はアートフィルムの方向へ向かっているのですが、それは美術館での観客をより多く育てることによって、より観客を増やしていこうと思っているからです。

― 今後の新作について教えてください。

ツァイ監督 新作は、パリで撮影した行者(Walker)シリーズの9作目です。このシリーズはどれも短編でしたが、今回は長編を制作しました。この作品を早く日本の皆様にご覧いただけるよう祈っています。


― 近年、VR映画(『蘭若寺の住人』)を制作されましたが、今後もVR作品を制作されるご予定はありますか?

ツァイ監督 私は、制作の動機が非常に受動的なんです。機会が与えられれば、お金があれば、リー・カンションが出演してくれるなら、そして、私に自由を与えてくれるなら。それなら何でも撮りたいと思っています。ただ、実現させたい将来の計画がありまして。リー・カンションが60歳になった時、長編を1本撮りたいと思っています。

― 最近の台湾映画については、どのようにお考えですか?

ツァイ監督 この数年、台湾映画界は非常に賑わっていますが、視点が商業的なマーケットに向いていると思います。ただ、お伝えしておきたいのは、台湾の映画館で台湾映画がかかる機会が増え興行収入が上がってきた、つまり台湾の皆さんが台湾映画を観るようになってきたという事です。ですが、私の感覚では、やはり創作力が若干弱いのではと感じています。

その点、日本の新世代の監督たちは良い監督が出てきています。深田晃司監督の作品を拝見しましたが、素晴らしいと思いました。また、濱口竜介監督も国際的にも評価が高い監督です。この二人を代表とするような日本映画は創作力という面で豊かなものを提示していると思います。ぜひ頑張ってほしいです。


この日、65歳の誕生日を迎えたツァイ監督。

メディア交流会の終盤、この日はツァイ監督の誕生日だったことから、会場の全員で監督のデビュー30周年と誕生日をサプライズでお祝い。和やかな雰囲気の中、メディア交流会は終了した。


『日子』に出演したAnong Houngheuangsyさんも同席。ツァイ監督いわく「Anongは非常に潜在的な能力を持っています。歌も上手く、絵も描く。まだそういった才能を十分に花を開かせていないと思うので、これから彼が花開くように育てたいと思っています。」


ツァイ監督が「本当に彼に頼りきっていて。彼がいなかったらどうやって生きていこうという感じです」と語る、プロデューサーのワン・ユンリン(王雲霖)さん。


『西瓜』のポスターの前で記念撮影。台湾文化センターにて11作品の映画ポスターを展示する「蔡明亮作品ポスター展」が2023年1月末まで開催中。

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