「驪妃(りひ)」時代背景/登場人物、史実ではどうだった?|中国時代劇トリビア#70
リー・チン(李沁)、チン・ハオ(秦昊)主演のドラマ「驪妃(りひ)-The Song of Glory-」は、大ヒットラブ史劇「王女未央-BIOU-」のスタッフが再集結した注目作品。
このドラマの歴史的背景となる元嘉(424年—453年)は、南朝宋皇帝の文帝・劉義隆の年号で、物語には南宋(420年—479年)に実在した人物たちをモチーフとしたキャラクターが登場します。今回はドラマ「驪妃(りひ)-The Song of Glory-」で描かれる時代がどんなものだったのか、そして実在の人物たちはどんな人だったのかを探っていきます!
まずは「驪妃(りひ)-The Song of Glory-」で描かれるストーリーの主軸をふりかえってみましょう。時は元嘉の時代。当時は政局が不安定で、朝廷内ではさまざまな勢力が虎視眈々と権力を握ろうとうごめいており、国家は長年の問題を抱えていました。皇帝は勢力が弱まっており、その動きを治めることも難しくなっていました。そんな折、皇帝の異母弟である劉義康は、独自の勢力を密かに構築し続け、すべての政党勢力の力を崩壊させ、皇帝の力が回復することを支援しようと試みます。その過程で、多くの困難と挫折とを経験した劉義康は、最愛の女性・驪歌と出会い、共に未来へと歩もうとしますが……。
舞台となる南宋は、中国南北朝・南朝の国。その時代は長く、国力最強の朝代とも言われ、四世十帝、享国59年。後の周代の諸侯国の宋や趙匡胤が建てた宋などと区別するために、帝室の姓を冠し劉宋(りゅうそう)と称されることもあります。
彭城王・劉義康
チン・ハオ演じる彭城王・劉義康は、南朝宋の初代皇帝宋武帝・劉裕の第四子で、南朝宋の第2代皇帝の少帝・劉義符、南朝宋の第3代皇帝の文帝・劉義隆とは異母兄弟の関係です。母親は王美人。劉宋宗室大臣などを経て、宰相となります。
史実の劉義康は、文帝・劉義隆の元嘉の治を補佐した非常に優れた人物でした。このため、皇帝からの信頼も厚く、文官の王弘と共に多くの功績を残しました。
しかし、劉義康の貢献が大きくなりすぎると、朝廷内では様々な勢力問題がくすぶりはじめ、兄と弟の間にも徐々に溝が生じるようになっていきます。やがて、劉義康側の勢力が大きくなり、文帝の側近と対立。謀叛の疑いを掛けられ、死を命じられます。そして一生を劉宋の繁栄に捧げた劉義康は、43歳でその生涯を閉じたのです。
劉義康の生涯に関しても記録が残されており、その中には妻や側室に関することも記載されているそう。それによると、劉義康には正妻と側室の2名がいて、謝氏と孟氏の女性たちだったそうです。そして残念ながら、劇中で登場する驪歌の沈氏は実在しておらず、このキャラクターに関しては、フィクションの人物ということになります。残念!
劉義宣
グー・ジアチェン(谷嘉誠)演じる劉義宣は、宋武帝・劉裕の第6子。身の丈は7尺五寸(約183㎝)、たくましい体格の持ち主で、色白の超美男子だった…ということで、演じたグー・ジアチェンのイメージにもぴったり! 史実では、竟陵王に封ぜられ、後に南譙王になりますが、孝武帝から受ける処遇に不満を高め、臧質らと挙兵し敗死。40歳で亡くなっています。
実母は孫美人で、孝武帝の即位後、没後に尊称として太妃の称号を与えられています。劇中では陸家と親戚関係にある孫太妃として登場し、実の母が早世した劉義康の養母となり、実子である劉義宣と劉義康との間には態度の差がある様子などが描かれています。
「これはあの人かな?」と、色々と想像を膨らませてドラマを観ても面白いですね!
Text:島田亜希子
ライター。中華圏を中心としたドラマ・映画に関して執筆する他、中文翻訳も時々担当。『台湾エンタメパラダイス』『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)にて執筆記事掲載中。
アジアドラマ(中国、台湾、韓国、タイほか)の名作が見放題で月額600円(税込660円) 初回14日間無料!
https://amzn.to/3VX5Tyk
<シンプルBOX 5,000円シリーズ>DVD-BOXも発売中!
https://www.cinemart.co.jp/simple/
記事の更新情報を
Twitter、Facebookでお届け!
Twitter
Facebook