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【私の履歴書・田代親世】第1回 ミーハー魂満載!地に足が付いていなかった学生時代


私の履歴書~Profile No.1?

韓国エンターテインメント・ナビゲーター:田代親世さま

韓国ドラマのファンであれば、この方の名前を知らない方は少ないでしょう。
日本で韓流ブームが起こる前から、いち早く韓国コンテンツの魅力に気づき、情報発信を続けてこられた、第一人者です。韓国ドラマ・映画の解説、韓流イベントの司会のほか、幅広いメディアでコメンテーターとして活躍されている田代さんに、その生い立ちから、韓国との出会いまでを、率直に包み隠さず語って頂きました。韓国ドラマファンだけでなく、人生に迷っている人、夢を掴みたい人にも必読のインタビューです。

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静岡生まれですが、父が転勤族だったので、静岡、名古屋、東京を転々としました。

小学校は3回転校しています。高学年から高校卒業までは、ずっと名古屋で過ごしました。

中学ではテニス部。何事も一生懸命に取り組んでしまう性格なので、副キャプテンも務め、名古屋市の大会で優勝したくらいのめり込みました。高校時代は、テニスと大学進学のための勉強に明け暮れましたね。

大学の専攻は国文学。卒論は「日本映画の、時代とテーマの関連性について」でした。第二外国語はフランス語。当時は西欧志向だったんです。大学も「慶応って雰囲気良さそうだから」という、ミーハーな理由で選んだくらい。

昔から目的をハッキリと定めてから、それに向かって努力していくのが合ってるタイプなんです。大学にはカッコイイ人も沢山いて、テニスサークルに入り、思い描いていた通りのキャンパスライフを送っていました。ただ、元々私は女優志望だったんですね。小学生の頃はアニメが好きで、声優になりたかったんですけど、いつの頃からか、夢は女優になっていました。大学生活があまりにも楽しくて、すっかり忘れてしまっていたんですが、「女優になりたかったんだわ」ということを思い出して(笑)

それで大学3年生の時に俳優養成所(NHKプロモートサービスアクターズゼミナール)に入ったんですね。田舎者だったから、「NHKがやっている所なら安心」という気持ちもあって(笑)。そこでは演技、発声、殺陣(タテ)、ダンスなどを1年間、勉強しました。

一応成績も優秀だったので、2年目は特待生のような形で進みました。ただ、個性的な同級生たちに比べて、自分は普通だなという気持ちが強くなってきました。やはり照れもあったし、表現することが向いていないと感じてきました。好きなことをやっているはずなのに、周りと比べて、落ち込んでしまったり。ちょうど大学4年生だったので、普通に就職活動もすることにしました。

(第2回に続く)


◆田代親世さん出演イベント
日韓文化交流イベント めぐり逢いコンサート トークゲストとして出演
http://www.koreanculture.jp/info_event_view.php?page=1&number=4521&cate=&keyfield=&key

◆著書


「恋する韓流」(朝日新聞出版)-韓流10年の活動を振り返ってのエッセイ本


「韓国ドラマが教えてくれる 心が強くなる40の言葉」(中経の文庫)-ドラマの名セリフを取り上げて解説する情報本


小説「台北に舞う雪」(朝日新聞出版)監修-映画化になったオリジナル脚本をもとに書き下ろした小説


小説「泡沫の夏」(新書館)

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