【私の履歴書・延 智美(ヨン・ジミ)】第3回 将来を模索した時期 通訳大学院時代
私の履歴書~Profile No.2~
「通訳は裏方の仕事だから、私が表に出るなんて!」と、恐縮されていた延さん。しかし、いざインタビューが始まると、通訳をされているのは勿体ないほどの滑らかな語り口!凡人には決して経験できない延さんの半生に、身を乗り出して聴き入ってしまいました。延さんのインタビュー、必見です。
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大学時代に、日韓スポーツ交流や日韓教職員交流の通訳ボランティアをしたことがありました。それが初めて通訳をした経験でした。「自分の持っているスキルで人の役に立てる」というのが本当に嬉しくて、「これは天職だ!」と思ったんです。どうせやるのなら首脳会談の通訳レベルを目指そうと思い、通訳教育では最も伝統のある韓国外国語大学の通訳翻訳大学院に進みました。
学校の授業はものすごくハードで、毎回大量の課題が出されます。人生で一番勉強したのが、この大学院時代でした(笑)。授業で出される課題をこなすだけで、一週間の予定がびっしりと埋まってしまい、睡眠を削りながら勉強する日々でした。一番大変だった課題は、KBSの9時のニュース20分くらいを書き取り、それをまた日本語で通訳をし、テープに録音するというものでした。専門用語の多い早口のニュースを聞きとり、書き取るというのは、かなり大変な作業でした。そんなふうに授業では経済、IT、医学、国際関係、環境など、幅広い専門分野に対応できるように、同時通訳、翻訳のトレーニングを積んでいきます。
でも、あまりにも詰め込み式で機械的な作業を繰返すうちに、街で看板を見ても、新聞を読んでも、絶えず頭の中で単語を日⇔韓で変換するようなり、小説すら楽しく読めなくなってしまったんです。最初に通訳で感じた心が躍るような気持ちは消えてしまって...「私が本当にやりたかったのは、こういうことだったのかな~?」という疑問が、ムクムクと頭をもたげて来ていました。
思い返してみると、初めての通訳は民間交流の場でしたから、そこで感じた通訳の喜びは、異文化でコミュニケーションできることの楽しさがベースにあったんですね。ただ情報を正確に伝えることよりも、心とか感情を伝えることがしたい、という気持ちがより強くなっていきました。
(第4回へつづく)
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