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【私の履歴書・田代親世】第6回 引き寄せた縁~好きな気持ちが、仕事を運んできた!

すると今度は、書籍を読んでくれた方から、韓国映画のパンフレット原稿の仕事が舞い込んできました。最初の映画はチェ・ミンス主演の「ユリョン」(配給:日活)。

本は自分の持ち込み企画でしたが、初めて外からの仕事が来たので、嬉しかったですね。
自分の韓国に関する知識を、仕事に活かせるんだと思いました。そうやってパンフレットを書くうちに、韓国映画が公開される際のトークショーに招かれて、お話をしたりという仕事も続きました。

日本人が「韓国エンタメ」に特化した本を出すことが珍しく、当時はまだ在日韓国人を対象にしていたCSチャンネル「KNTV」からもお声がかかり、KNTV主催の「ブラザーフッド」撮影現場ツアーで、そこに組み込まれていたウォンビンのファンミの司会をしました。350人ほどが参加しましたが、これが日本人が初めて体験する「ファンミーティング」だったと思います。

やはり本を見てくれたNHK「ハングル講座」のPDにお声掛け頂き、韓国人の俳優について語るというコーナーを2週続けて担当しました。すると芋づる式で、このハングル講座を見ていた、CS放送局「衛星劇場」の担当者から、「是非、自分たちのチャンネルで、韓国の映画やドラマについて解説してくれないか?」という依頼を受けました。「情熱のコリアンムービーシアター」というコーナーで、映画と俳優についての解説をしたり、ドラマが放送される前の番宣解説をすることになりました。衛星劇場とのお付き合いは、2004年から既にあしかけ11年になりますね。

既に2002年のワールドカップ共催を経て、「日韓で何か一緒にやろう!」という機運が高まっていたんです。その間にTBSの「フレンズ」やテレビ朝日の「イブのすべて」の放送があり、徐々に韓国の俳優やドラマに対しての関心も生まれて来ていたと思います。そんな中、満を持して2003年NHKBSでの「冬のソナタ」放送となるわけです。

私は既に「ホテリア」でペ・ヨンジュンファンになっていましたから、「冬のソナタ」も韓国現地での放送から1週遅れくらいで、ビデオを入手し、見ていました。本の企画で「冬のソナタ」の打ち上げパーティーにも参加させて貰ったんですよ。今から考えると、あり得ないくらいレアな経験ですよね。日本人で「冬ソナ」の打ち上げパーティーの取材をしたのは、私くらいだったでしょうね。

思いがあまりに強すぎたから、色々な縁を自分が引き寄せたような気がしています。当時を振り返ると、あまりにも前のめりだった自分が、若干恥ずかしいですね。

私は香港を好きになったのがキッカケで、韓国を知ったという珍しいケースです。当時から香港の歌手は、韓国の女優さんをミュージックビデオに使ったりしていましたから、何となく香港を経由したことで韓国に入りやすかったというのはあります。香港映画を字幕なしで見ることにも慣れていたので、言語が分からない韓国ドラマを見ることにも抵抗はありませんでした。香港を経由したことは一見すると回り道に思われるかもしれませんが、逆に香港に行かなければ、韓国にも出会えなかったんですよね。

元々、香港に行く前は、中国映画が好きでした。「芙蓉鎮」から始まって、張芸謀などの第五世代の作品群が特に。中国から始まり、香港に入り、そして最後は韓国に行きついたと言う感じです。


(第7回に続く・毎週月曜日更新予定)


◆著書


「恋する韓流」(朝日新聞出版)
-韓流10年の活動を振り返ってのエッセイ本




「韓国ドラマが教えてくれる 心が強くなる40の言葉」(中経の文庫)-ドラマの名セリフを取り上げて解説する情報本




小説「台北に舞う雪」(朝日新聞出版)監修-映画化になったオリジナル脚本をもとに書き下ろした小説




小説「泡沫の夏」(新書館)



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