Cinem@rt エスピーオーが運営するアジアカルチャーメディア

連載

【私の履歴書・田代親世】第4回 久々の学生生活!香港留学へ

韓国エンターテインメント・ナビゲーター:田代親世さま

韓国ドラマのファンであれば、この方の名前を知らない方は少ないでしょう。
日本で韓流ブームが起こる前から、いち早く韓国コンテンツの魅力に気づき、情報発信を続けてこられた、第一人者です。韓国ドラマ・映画の解説、韓流イベントの司会のほか、幅広いメディアでコメンテーターとして活躍されている田代さんに、その生い立ちから、韓国との出会いまでを、率直に包み隠さず語って頂きました。韓国ドラマファンだけでなく、人生に迷っている人、夢を掴みたい人にも必読のインタビューです。

・・・

元々は「香港返還の瞬間を取材できないかな」と思っていたのですが、「そうだ!取材ではなくて、もう現地に住んでしまっていれば、いいんじゃない?!」と思いついて(笑)。歴史的な瞬間を現地の住民として見届けたいというジャーナリスト魂もむくむくと頭をもたげて。それで、香港中文大学への留学を思い立ったんです。それが1997年の5月、ちょうど返還の1カ月前でした。幸い、テレビ局からも「住んでるんだったら、取材をして」という依頼もあり、当初の思惑通り、返還の瞬間を取材することができました。ジャーナリスト冥利に尽きる経験でした。

香港は広東語ですが、私は大学の語学堂で普通語(プートンファ)を学んでいました。日本人の私が普通語を喋ると、逆に香港の人たちには尊敬されたりして。香港映画は好きでしたけど、普通語が断然好きですね。音の響きが何と言ってもセクシーです。香港現地でエンタメを満喫しようというミーハー心も一杯でした。

香港では「香港島」の方にある、コーンヒルという場所に住んでいました。日本人駐在員が多い地域です。JASCOもあったりして、すごく便利な場所でしたね。香港には1年8カ月いました。最後は自分の習ってきた中国語を、本土で試してみよう!と思って、中文大学からの留学という形で、北京の国際大学で1ヶ月半過ごし、また香港を経て日本に帰ったというわけです。

久しぶりの学生生活は楽しかったですね。大学時代にもっとこんな気持ちで勉強すれば良かったと思うくらい、探究心に燃えていました。人と出会う楽しさも知りましたね。飲茶していると、友達が友達を連れて来ると言う感じで。フランクな文化なんですよね。毎回、知り合いが増えて行くという楽しみがありました。

香港にいる間には、日本の媒体から頼まれて、レスリー・チャンが常盤貴子と共演した映画「星月寓話」の記者会見を取材したり、「香港返還の日に、レオンに密着」という企画が通って、インタビューをさせてもらったりしました。情熱を持って願っていると、会いたい人に会えたり、やりたいことが出来たり...まさに引き寄せの法則ですよね。もちろん、実現しなかったこともありましたし、意気込んで企画を持って行ってあっさり断られるという恥ずかしい思いも沢山しましたけどね。

昔からよく、「地に足が付いてない」って、良く言われていたんです。夢見がちに思われてたんでしょうね。親にも、香港留学する際には驚かれました。やっと東京に戻って落ち着いてくれると思っていたんでしょうね。レポーター時代の貯蓄も底をついていましたから、留学の後半は、親が資金援助してくれていました。

香港の家賃が世界一高い時代でした。月17-8万円の部屋を友達とシェアしていましたが、後半は一人で住んでいたので、結構な負担でしたね。でも、香港は初めて行った時に「ここには住めるな」と肌で感じる雰囲気がありました。人の出入りも激しいし、他人に関心がなく、誰もが土着していない感じが良かったんです。転勤族の私には性に合っていたんだと思います。逆に、こんなに好きな韓国には、「ここに住めるな」という気持ちを一度も持ったことがないんです。人間関係が濃く、しがらみが多そうな感じがあって。

香港は留学から帰って来てから1度しか訪れていないんですが、今でも「帰る場所」のような気持ちを持っている大好きな街です。

(第5回に続く)


◆著書


「恋する韓流」(朝日新聞出版)
-韓流10年の活動を振り返ってのエッセイ本




「韓国ドラマが教えてくれる 心が強くなる40の言葉」(中経の文庫)-ドラマの名セリフを取り上げて解説する情報本




小説「台北に舞う雪」(朝日新聞出版)監修-映画化になったオリジナル脚本をもとに書き下ろした小説




小説「泡沫の夏」(新書館)



記事の更新情報を
Twitter、Facebookでお届け!

TOP