流刑は死刑よりも過酷だった⁉|中国時代劇トリビア#129
中国歴史ドラマの中に登場する、なんだか気になる“アレ”のトリビアを探るこのコーナー。今回は、フー・イーティエン×チャン・ジンイー共演の愛と成長の物語「惜花芷~星が照らす道~」に関する気になるあのことを紹介!
流刑は死刑よりも過酷だった⁉
「惜花芷~星が照らす道~」©2024 Youku Information Technology (Beijing) Co., Ltd. All Rights Reserved.
ドラマ「惜花芷~星が照らす道~」では主人公・花芷の祖父・花屹正が逮捕されて、花家一族の男性たちは皆流刑とされ、都から追放されてしまいます。
時代によって刑の内容は変化を遂げたとされており、律令が導入されて以後の刑罰として挙げられる主要なものは、鞭打ち、臀部を木などで打たれる杖刑、投獄・労役などが課される徒刑、死刑、そして遠方に隔離され、労役が課せられる流刑の五刑があります。
いずれも重い刑ではありますが、一説によると、死刑よりも花屹正らが処された流刑の方が非常に過酷だったのだとか。流刑は囚人を指定の遠隔地に送り、1年間ないし規定の期間中、足かせを付けて服役・労働をさせ、許可なく元の場所に戻ることを許されない刑罰で、劇中でも登場したように、首枷をつけ、手足を拘束されたまま、何千里と離れた流刑地に、自らの足での移動をさせられます。
流刑地とされるのは、いずれも辺境の地で、向かう途中で危険な目に遭ったり、監視の役人から虐待を受けたりすることもあり、目的地に到着するまでに命を失う人も多かったとか。なんとか到着した人たちは、刑で決められた期間中、首枷などをつけたまま重労働が課せられ、過酷な生活環境の中で過ごすことになります。
なぜ、流刑者が逃亡しなかったのか、というと、20斤(約12㎏)の首枷をつけられていることと、元朝以降の決まりで、南方出身者は北へ、北方出身者は南へと流されるため、土地勘も無い中で逃げ道も分からず、逃亡のしようがなかったとか。そしてひとたび逃亡が見つかって拘束されれば、死の道をたどることになっていきます。
ドラマの設定でもあったように、古代中国の流刑は、死を免れても、その名誉を著しく貶められることから、まさに生き地獄を味わう刑とも。流刑から解放されるのは刑期満了か、皇帝の恩赦が与えられた時とされていたそうです。
「惜花芷~星が照らす道~」©2024 Youku Information Technology (Beijing) Co., Ltd. All Rights Reserved.
【参考資料】
百度『流刑』 (こちらの関連映像解説から一部参照)
提供:エスピーオー/BS12 トゥエルビ
発売元:エスピーオー 販売元:エスピーオー
https://www.spoinc.jp/official/sekikashi/

Text:島田亜希子
ライター。中華圏を中心としたドラマ・映画に関して執筆する他、中文翻訳も時々担当。Cinem@rtにて「中国時代劇トリビア」「中国エンタメニュース」を連載中。『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『見るべき中国時代劇ドラマ』(ぴあ株式会社)『中国ドラマ・時代劇・スターがよくわかる』(コスミック出版)などにも執筆しています。
\アジア俳優名鑑 バックナンバー/
記事の更新情報を
Twitter、Facebookでお届け!
Twitter
Facebook