【インタビュー】『親愛なる君へ』チェン・ヨウジエ監督 前編"きっかけは、愛する権利を守る人々"
台湾アカデミー賞3部門受賞作品! 血の繋がりを越えた“家族”の絆をつむぐ物語『親愛なる君へ(原題:親愛的房客)』が、本日7月23日よりシネマート新宿・心斎橋ほかにて公開がスタート(全国順次公開)! 本作の監督と脚本を務めたチェン・ヨウジエ(鄭有傑)監督にお話を訊きました。
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きっかけは、” 愛する権利を守る”人々
― 『親愛なる君へ』では監督だけでなく脚本も担当されていますが、本作の物語はどう発想されましたか?
チェン・ヨウジエ監督(以下、チェン監督) 2018年に台湾で同性婚の論争がたくさんあり、2019年まさにこの映画の制作最中に同性婚の法律が通ったんです。今まではあまり表に出てこなかった同姓婚や、伝統的な家庭とは異なった家庭の人たちへの偏見や圧力が表に出てきたんですよね。
その論争の中でたくさんの人が表に出て、自分の権利を主張したんです。僕がそこで感動したのは、表に出てこない方が実は楽で、でもあえて出てきて“愛する権利を守る”というような心に色々考えさせられました。
人を愛することは何か、家族とは何かを2018年に色々考えさせられ、そこから脚本の発想が始まりました。
― 台湾での社会的な運動を監督が見て発想が広がったということですが、実際に監督の周囲でも当事者はいらっしゃったのでしょうか?
チェン監督 そうですね。身の回りにもいるし、同性愛者ではないが自分が養子だったことが大人になってからわかった人もいて。でも、血の繋がりが無いから血の繋がっている家族より愛が薄いかというと、それは違います。
一緒に住んでいて、支えあって、愛しあっていて。もちろん時には喧嘩もするけど、それも踏まえて全部家族なんですよね。それでも一緒にいる、支えあって生きていくのが家族なので。
ただ、それを考えている時に法律のレベルに止まって欲しくなかったんです。偏見や愛というのはやはり人間の気持ちの部分なので。法律は変わっても、もし人に対する気持ちが変わっていかなければ、結局は同じです。今まさに台湾では、法律は同性婚を認めているが、偏見も無くなったかと言われると所々には残っています。
― 今回は色々な家族の多様性がある中で、主人公がゲイであるというひとつの設定ですが、それだけではないですね。
チェン監督 そうですね。家族の本質的な部分です。生きている時だけではなく、誰かが死んだ後も繋がっているものは繋がっている。それは血の繋がりだけではなく、感情の繋がり。それこそが愛だと思います。
― 本作には、パートナーの母親の死をめぐるサスペンスもあります。何故そのような側面を持たせようとしたのでしょうか?
チェン監督 サスペンス的なストーリーは最初からありました。例えば台湾のニュースや新聞にもよく出ますが、お年寄りが亡くなり、ずっと世話をしてきたヘルパーなどへ自分の財産を贈与する事案があります。このようなニュースの結末は、実子が出てきてそれを阻止するのがお決まりなんです。
そのようなニュースの側面だけを見ると、いかにもヘルパーが貪欲で何かを狙って近づいてきたように捉えられるんですが、実際お世話をしているときに何かしらの感情が生まれている事もあると思います。実子は外で働いていて、両親の世話ができず、世話をされる側にとって、家族的な存在なのはヘルパーだということはよくあります。
特に台湾は東南アジアから来るヘルパーが多く、病気の世話だけでなく、身の回りの世話までしてもらうので、本当に家族的な存在というのはたまにあります。表面から捉えたものと、実際にこの2人の暮らしを見るのとではかなり違うと思うんです。
モー・ズーイーとの仕事は、「信じている」ではなく「分かっている」
― 本作では、モー・ズーイー(莫子儀)さんやチェン・シューファン(陳淑芳)さんをはじめ、どのキャストも素晴らしかったです。チェン・ヨウジエ監督がキャスティングを考えるときに特に重視されていることはありますか?
チェン監督 演技はもちろん重要ですが、人間の本質の部分、「この人はどうやって世界を見るか」ということを、キャスティングの際に一番大切にしています。それは別に俳優の良し悪しではなく、まずは目に見えない部分で思いが通じ合えるかどうかです。でも“思い”には形がありません。そういう目に見えないものを短いオーディションの中でどう感じ取れるか、そして俳優にも感じ取ってもらえるか。その確かめ合いが、僕がキャスティングの際に一番大切にしていることです。
― 主演のモー・ズーイーさんとは2度タッグを組まれていますが(※1)、彼はまさに“思い”が通じ合える方ということでしょうか?
チェン監督 もちろんです。モー・ズーイーとは「どこかで分かりあっている」という安心感があるんです。たとえ十数年間一緒に仕事をしていなくても。表現するのが難しいのですが、僕が言わなくても彼ならわかってくれる、というところがたくさんあるんです。
なので撮影中は、ほとんど彼に任せていました。もちろん事前にキャラクターの設定などは詳しく話し合います。例えば、髪の毛の色から若い頃好きだったバンド、収入や育った家庭、父親の職業など凄く細かなところまで。でも、このキャラクターをどう表現するかは彼に任せます。
※1 チェン・ヨウジエ監督の長編デビュー作『一年之初(一年の初め)』(06)にモー・ズーイーが出演しており、本作『親愛なる君へ』(20)では14年ぶり2度目のタッグとなる。
― 映画には映らない部分についてはやり取りされるが、映る部分はお任せするということでしょうか?
チェン監督 そうです。というより、僕と彼なら決めておくべき設定さえ決めておけば、脚本に描かれていることを彼はしっかりやってくれる。「そう信じているから」ではなく「僕と彼なら出来ると分かっている」んです。
― とても特別な関係性ですね。
チェン監督 でも、僕らはプライベートではほとんどで会わないんですよ。久しぶりに再会したのが、2018年の『一年之初(一年の初め)』出演者の結婚式でした。
その時に、モー・ズーイーが僕に「そろそろ一緒に映画をつくらないか?」って声をかけてきたんです。その時、僕も同じことを考えていて。ちょうど脚本を書き始めた頃だったのですが、実はすでに彼にこの役を任せることをほとんど決めていたんです。
たった48時間でモー・ズーイーがしてきたこと
― モー・ズーイーさんとのやりとりで印象的だったことはありますか?
チェン監督 僕が彼に脚本を渡した翌々日、彼が脚本について話し合いたいと言いミーティングしました。その時、すでに彼は脚本に書かれたシーンを全て時系列通りに並べ替え、このキャラクターの生まれた時点から今に至るまでのすべてのストーリーを考えていました。脚本を渡してたった48時間後に、もう全ての準備が整っていたんです。
実は脚本の段階では今よりずっと時系列が複雑だったのですが、助監督がたまげたほど、彼は正確に整理していました。それもたった48時間で。僕も俳優をやるのでわかりますが、この作業は早くても1週間かかります。それが凄く印象深かったです。
― それは凄いですね…! 撮影現場でも、モー・ズーイーさんのそのストイックさを感じるエピソードはありますか?
チェン監督 たくさんありますよ。例えば、彼はピアノが弾けなかったのですが、この作品の為にピアノの練習をしたんです。「手の代役を用意しようか?」と言っても、絶対彼は断るんです。「絶対自分で弾かなくちゃいけない」って。
ただ、オリジナル曲なので練習時間がほとんどなく、ぞれでも絶対自分でやらなくちゃいけない。しかもただの練習ではなく、ピアノを弾けない人がピアノの先生になるまでの練習ですからね。
でも……彼がピアノを弾く手元のクローズアップはほとんど削っちゃった(笑)。涙を流すシーンをいくら削っても全然怒らなかったのに、ピアノを弾くシーンは「こんなに一生懸命練習したのに!!」って言ってました(笑)。
― あはは! 確かにそれは少し可哀想です(笑)。
『親愛なる君へ』
7月23日(金・祝) シネマート新宿・心斎橋ほか全国順次公開
君が生きていてくれたら… 僕はただ、大好きな君を守りたかった ──
老婦・シウユーの介護と、その孫のヨウユーの面倒をひとりで見る青年・ジエンイー。血のつながりもなく、ただの間借り人のはずのジエンイーがそこまで尽くすのは、ふたりが今は亡き同性パートナーの家族だからだ。彼が暮らした家で生活し、彼が愛した家族を愛することが、ジエンイーにとって彼を想い続け、自分の人生の中で彼が生き続ける唯一の方法であり、彼への何よりの弔いになると感じていたからだ。しかしある日、シウユーが急死してしまう。病気の療養中だったとはいえ、その死因を巡り、ジエンイーは周囲から不審の目で見られるようになる。警察の捜査によって不利な証拠が次々に見つかり、終いには裁判にかけられてしまう。だが弁解は一切せずに、なすがままに罪を受け入れようとするジエンイー。それはすべて、愛する“家族”を守りたい一心で選択したことだった…
監督/脚本:チェン・ヨウジエ
監修:ヤン・ヤーチェ(楊雅喆)
出演:モー・ズーイー、ヤオ・チュエンヤオ(姚淳耀)、チェン・シューファン、バイ・ルンイン(白潤音)
2020年/台湾/カラー/106分/シネマスコープ/5.1ch
原題:親愛的房客
配給:エスピーオー、フィルモット
© 2020 FiLMOSA Production All rights
公式Twitter:@filmott
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