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おもしろきこともなき世をおもしろく




故・川島なお美さんは「私の血はワインで出来ている」との名セリフを残したが、
その言葉を借りるなら、

「僕の血はスラムダンク、ジョジョ、三国志、そして高杉晋作で出来ている。」

タイトルは我が永遠の魂の師匠、高杉晋作先生の名言である。
たったこの1文で現代社会を生き抜けるほど、まさに血液中にこの言葉がかけめぐる。
もちろん人の価値観なんてそれぞれ、でもこれだけは絶対に譲れない。
「面白くもない世の中だけど、面白く生きるのは己の思考の角度ひとつ。」
約150年前に晋作先生はそう教えてくれた。

え?誰?名前くらいは聞いたことある。という方も多いだろう。
ではここはひとつ、僕なりの解釈で僕なりの表現で高杉晋作先生を紹介してみよう。
以前も言ったが僕は歴史考古学者でも何でもないので専門的なことは書けない。
時系列もおそらく前後すると思う。エンターテイメントとしてご了承いただきたい。

<幕末の動乱を駆け抜けた高杉晋作の生涯~UMSアレンジバージョン~>

今の山口県は萩市あたりで生まれる。長州藩に在籍。
そこで生涯の師匠と呼ぶ、吉田松陰と出会い松下村塾に入塾。
開国思想の吉田松陰が処刑された事が原因で打倒・幕府を心に誓う。

江戸幕府公式の海外随行員の1人として上海へ行く。
しかし出港前の長崎で豪遊し、藩から支給された出張経費を盛大に使い果たす。

幼なじみであり舎弟でもある伊藤俊輔をいつも連れまわす。というか振りまわす。
そのシュンスケを引き連れて藩に無断でオランダの軍艦を購入。そのとき自分は一文無し。
後日、億単位の「買った覚えのない船の請求書」が長州藩に届く。経理部ひっくり返る。
シュンスケ怒られる。

黒船が現れて以降、まだ鎖国文化の消えない日本が緊張感あふれる中、
これまた子分のシュンスケらを引き連れて、突如としてイギリス大使館を焼き払う。
さすがの長州藩も「勝手に目立つことをするな!今はすっこんどれ!」と叱り飛ばす。
「では10年ばかり休暇をいただきます。」と、武士をやめて出家して山に引きこもる。

しばらくして高杉晋作不在の長州藩、「やっぱりガイジンは追っ払おうぜ」と
下関(関門海峡)を通過する外国船にことごとく大砲を打ちまくる。
これもけっこう無茶苦茶だ。
数か月後、当然アタマにきたアメリカやフランスから報復として猛攻撃を食らう事になる。
下関はあっという間に占領される。

世界を知らない長州藩(というか日本)、戦ってみて初めて外国との戦力差を思い知る。
困った藩は山から高杉晋作を連れ戻す。10年もらうはずの休暇はわずか数か月で強制終了。

その間、本人は何をしていたか?
引きこもりながら密かに最強部隊「奇兵隊」結成。志の高い農民や力士までかき集める。
「もう開国して文化を取り入れなきゃ海外には勝てん、つまり日本に未来はないぞ」と、
文字通り身体をはって理解した長州藩もイッキに倒幕派としての気運が高まる。

でもその後、高杉晋作は色んな主張や行動がアダとなり今度は投獄される。
詳細は割愛するが、そんなこんなで彼は脱藩を5~6回繰り返している。

同時に、京都で幅を利かせていた(要するに調子に乗っていた)長州藩は
幕府はもちろんのこと、会津藩と薩摩藩の最強タッグで京都から追放される。
懲りずに上京して反撃するも、ご存じ新撰組の活躍で返り討ち。うーん面白い。
その際、長州藩の主力メンバーはほとんど討死。圧倒的じゃないか、新撰組。

遂に幕府は長州藩の息の根を止めるべく、10万人を超える兵力で長州へ押し寄せる。
ここぞとばかりにアメリカフランスに加え、大使館を焼かれたイギリス、オランダの
4ヶ国連合にも包囲される。
国内外を敵に回し、もう完全に四面楚歌。主力のいない長州藩は壊滅寸前。

もう無理だろ、これ?
いいえ、まだこの男が残っている。

囚われのエース、高杉晋作。

藩は彼を鎖から解き放ち、まずは海外連合軍への使者としてリーサル・ウェポン投入。
英語もしゃべれる万能の子分、シュンスケも通訳として投入。彼はまたも巻き込み事故。
連合軍は多額の軍事賠償金と、下関の彦島という領土の租借を要求。

が、高杉晋作、なんと交渉の場でヘンテコな烏帽子をかぶり「古事記」を延々と読み上げる。
ガイジンにとって日本の大昔なんて意味がわからないし、やめないので議論が通じない。
気が狂った(と思わせた)晋作にまんまとうやむやにされる。
しかし一番大変だったのは「古事記」を通訳させられたシュンスケだろう。

以前、上海が奴隷と化した現実を見てきた晋作は、彦島を植民地にはさせないと
この破天荒な手段でガンとして守り抜いたと言われる。
ちなみに領土以外の条件、賠償金などは受け入れてちゃっかり幕府へなすりつけている。

後日、当時のガイジン通訳に「負けたくせにふんぞり返った態度で魔王かと思った」
と言わしめている。
「YOUは何しに日本へ?」の精神はこの時の高杉晋作がパイオニアだろう。

なんとか外国勢を追っ払った(呆れさせた)長州は、続いて幕府の大軍との対決だ。
徹底抗戦派と降伏派にわかれていた長州藩は内紛が絶えない。ほとんどが降伏派だ。
降伏派に命を狙われ身を隠していた晋作はふたたび立ち上がる。舎弟シュンスケも合流。
クーデターを起こし、長州藩を徹底抗戦軍団として統一。

統一の際の決めセリフは「これよりは長州男児の腕前、お目にかけ申すべく」

敗北濃厚だと思われたこの全面戦争では、夜襲により幕府の海軍を壊滅させる。
事前に根回ししていた土佐藩、坂本龍馬らの手助けもあった。
攻撃手段はいつぞやの無断で買ってきた軍艦、その名も「オテント丸」。
このふざけた名前とうらはらに、ワンピースのゴーイングメリー号も顔負けの大活躍。
藩の台所をひっくり返らせた珍妙な船と海賊王・高杉晋作が、藩の救世主となったのだ。

奇兵隊やオテント丸の奇襲により撤退に追い込まれた江戸幕府はイッキに権威を失い、
やがて訪れる戊辰戦争=明治維新へと続き、新しい時代の幕開けの一因となる。

ところが高杉晋作はと言うと、実はその戊辰戦争の直前で病に倒れてしまう。
そして辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」を書き残し、ついに力尽きる。
享年わずか27歳、悲願の文明開化を見る事なくその生涯を閉じる。

無念だったのか?その志は誰かに受け継がれたのか?
日本の未来を夢見た幕末の同志たちはもうほとんど残っていない。
が、高杉晋作にひっかき回された人生のシュンスケこと「伊藤俊輔」が明治以降も生き残る。
やがて、彼は政治家となった。

そう。舎弟だった彼こそがのちの初代内閣総理大臣、「伊藤博文」である。

となりで破天荒を見続けた経験が生きたのか、シュンスケは見事に日本近代化を実現。
総理大臣・伊藤博文は山口県を通りかかるたびに
「あのとき高杉さんがうやむやにしなかったら下関は今ごろ日本ではないだろう」と、
つぶやいていたと伝えられる。まあ古事記を英語で読み上げたのはあんただが。

「オテント丸」は平和になった明治時代、軍艦ではなく定期客船として活躍しましたとさ。


どうだろうか?今を生きることも大事だが、こうやって過去の歴史を振り返りながら
生きるのもまた一興だと思う。
その点において歴史時代劇ドラマは必要不可欠であるし、やはり定期的に観たくなる。
韓国ドラマでも時代劇がコンスタンスに人気なのはそういう側面もあるのかな、と思う。

週末は久々に「朝鮮ガンマン」を観ようかな。これも政変の物語でなかなか面白い。

<筆者プロフィール>
名前:UMS(エスピーオー男性社員)




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