1932年に武将・李成桂が建国してから500年以上、朝鮮半島を治めた国家・朝鮮王朝。東アジアでも珍しいこの長い王朝の誕生と消滅までを、かいつまんでご紹介します。
第1回:朝鮮王朝の幕開け (2017.1.24更新)
第2回:権力を巡る争いと2度の「倭乱」 (2017.1.25更新)
第3回:新政策を取り入れ、内政安定を図る (2017.1.26更新)
第4回:「勢道政治」と混乱する朝鮮王朝 (2017.1.27更新)
第1回:朝鮮王朝の幕開け
朝鮮王朝の幕開けは、14世紀の高麗時代末期(日本では室町幕府・足利義満の時代)まで遡ります。
中国大陸では、それまで勢力をふるっていた元(げん)に代わり、新興国家の明(みん)が台頭しており、元に朝貢していた高麗はこれを機に元との関係を断ち切ろうとするも、元との関係を重視した高麗の禑王は、武臣勢力の代表的人物であった李成桂に明への出兵を命じます。
ところが、倭寇対策で力をつけていた李成桂は出兵の途中でこの命令に背き、都の開京を攻めるというクーデターを起こします。
李成桂は1392年に高麗の恭譲王から王位を継承し、93年に国号を「朝鮮」と改め、94年には都を漢城(現在のソウル)に遷都します。
こうして李成桂が興した朝鮮王朝は、儒教を基にした政治理念を掲げ、国王を頂点とした政治機構を確立します。
しかしすぐに李成桂の息子たちによる権力争い(王子の乱)が起きます。
ここで政権を勝ち取った第3代王の太宗は、官僚制度と仏教寺院の力を抑え込む政策を取り、国家財政と国力の強化を図りました。
その基盤を基に、第4代王・世宗の時代には政治・経済が安定し、ハングルの創制をはじめ、測雨器や時計などの科学器具も発明されるなどさまざまな文化が花開きました。
世宗の死去後、王位を巡る争いが勃発します。
文・キネマ旬報社
『韓国テレビドラマコレクション2017』『韓国ドラマで学ぶ韓国の歴史2017年版』
※画像の注釈・「師任堂(サイムダン)、色の日記」宣伝スタッフ
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