1932年に武将・李成桂が建国してから500年以上、朝鮮半島を治めた国家・朝鮮王朝。東アジアでも珍しいこの長い王朝の誕生と消滅までを、かいつまんでご紹介します。
第1回:朝鮮王朝の幕開け (2017.1.24更新)
第2回:権力を巡る争いと2度の「倭乱」 (2017.1.25更新)
第3回:新政策を取り入れ、内政安定を図る (2017.1.26更新)
第4回:「勢道政治」と混乱する朝鮮王朝 (2017.1.27更新)
第4回:「勢道政治」と混乱する朝鮮王朝
1800年に正祖が亡くなると、11歳の幼い純祖が第23代王に就き、国政は英祖の妃である貞純王后が代行。反対勢力の粛正、厳しいカトリック弾圧を行います。
正祖に起用されていた実学者らも処刑・追放され、純祖の外戚・安東金氏による「勢道政治」(勢力を握った一族が国政を左右する政治)が始まります。
この勢道政治は第25代王・哲宗の代まで続き、その結果、政治は甚だしく乱れます。
繰り返されるカトリック弾圧は諸外国の反発を引き起こし、フランス、アメリカ、ドイツの来航、襲来を経験することになります。
哲宗の死後、第26代王となった高宗も幼く、政治は父の興宣大院君が行い、大院君の失脚後は高宗の外戚・閔氏とその一族が権力を握りました。
この時期の朝鮮は列強諸国や日本から開国・通商の圧迫を受けていました。国内では、開化派と保守派の対立が激化。閔妃一族は清軍を介入させて保守派の反乱を鎮圧。
1894年に勃発した日清戦争で勝利を収めた日本は、朝鮮から清の勢力を排除し、内政改革に乗り出しました。これに反発した閔妃(明成皇后)らはロシアと手を結び、日本を牽制しようと試みますが、1895年にはその閔妃も謀殺されます。
高宗は暗殺を恐れてロシア公使館に身を避けた後、1897年に国号を「大韓帝国」に改め、自らを皇帝と称します。
その後、1904年の日露戦争でも勝利を収めた日本が大韓帝国の併合を推し進め、1910年に併合されます。
文・キネマ旬報社
『韓国テレビドラマコレクション2017』『韓国ドラマで学ぶ韓国の歴史2017年版』
※画像の注釈・「師任堂(サイムダン)、色の日記」宣伝スタッフ
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