KNTVでの日本初放送に合わせて、毎週放送された2話分から気になるワードをピックアップ!
解説していきます。
【7話&8話】イム・コッチョン/中部学童
朝鮮三大義賊の一人、林巨正は賤民の子として生まれましたが少年時代に文字を習い、剣術にも長けていました。
人望のあった彼のもとには次第に人々が集まり、やがて彼らは不正によって富を蓄えた者から財産を奪い、貧しい人々に分け与えるようになります。
こうして庶民からは義賊と呼ばれた林巨正ですが、朝廷は彼の逮捕に躍起になり、ついに討伐軍のもとに倒れます。
本作では、ギョムを兄貴と慕い、サイムダンの姿を遠くから眺めて美しいとつぶやくイム・コッチョンはちょっとユーモラスな存在ですが、
その姿はドラマ「林巨正-快刀イム・コッチョン」をはじめ、「女人天下」「天命」にも見つけることができます。
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サイムダンの息子、ヒョルリョンやフィウムダンの息子、ジギュンが通う中部学堂は、漢陽の東・西・南・中部の4か所にあった官立の中等教育機関"四部学堂"のひとつです。
定員は学堂ごとに100名ずつで、原則的に入学資格はなく、8歳になれば両班の子弟の他、庶民の子どもでも入学することができました。
「小学」、「四書五経」を中心に学び、成績は毎年、王に報告されました。15歳になると、成績優秀者は"陞補試(スンボシ)"という試験を受験することができ、合格すれば成均館への入学を許されました。
教官などの人員は成均館から派遣され、成均館の付属学校のような性格を持っていたといいます。
その成均館ですが、現在の国立大学のような教育機関だと考えれば、わかりやすいでしょう。定員は200名で、入学資格は科挙の小科合格です。四部学堂出身者の他、全国から優秀な学生が集まり、寄宿舎で共同生活をしながら学びました。
彼らの目標は科挙の大科に合格して官僚の道を歩むことです。ジギョンも官僚となることを将来の目標と定めていました。
では、科挙とはどんな制度だったのでしょうか?
文科(文官)、武科(武官)、雑科(技官)大別されます。官僚になるためには文科に合格しなくてはなりませんが、全国から集まった優秀な受験生のなか、合格者はわずか30名ほどという難関です。
このため、劇中でのサイムダンの夫、ウォンスのように何度受けても合格できない者も少なくありませんでした。
試験の構成としては、3年毎に"式年試(シンニョンシ)"という定期試験が行われ、文科はまず小科、そして大科へと進みます。
成均館出身ならすでに小科に合格していますから、大科を受験します。大科は初試(チョシ)、覆試(ポクシ)、殿試(チョンシ)の3段階に分かれ、最終試験の殿試では王も審査に参加しました。
実在のヒョルリョン=李珥(イ・イ)は、この試験を9回受けすべて首席だったそうです。いかに優秀な人物だったのかがわかりますね。
来週は2月28日(火)更新!
【9話&10話】のキーワードをご紹介します。
お楽しみに!
「師任堂(サイムダン)、色の日記」©Group Eight
Text:青島昌子(ライター、韓国語翻訳家)
1990年代に韓国に留学。帰国後は翻訳、通訳として活動。韓流ブームとともに執筆活動に入る。翻訳書「スノーキャットのひとりあそび」(二見書房)共訳「韓国の歴史を知るための66章」(明石書店)「美男<イケメン>ですね フィルムブック」(キネマ旬報社)など。得意分野の本格時代劇を中心に、DVDオフィシャルライターとして「龍の涙」「ケベク」「チャン・オクチョン」「お願い、ママ」など、多数の作品に参加。