コラム
サイムダンが生きた時代

サイムダンが生きた時代とはどんな時代だったのでしょうか。「師任堂のすべて 朝鮮時代に輝いた女性芸術家」翻訳者の青島昌子さんが2つの切り口で解説します。


第1回:文化と芸術   2017.10.13更新
第2回:女性の生き方  2017.10.16更新

第1回:文化と芸術

サイムダンが生きた16世紀初頭、この時代は建国勢力である勲旧(フング)派による、地方出身の新進官僚、士林(サリム)派への弾圧が繰り返された時期に当たります。サイムダンの父、申命和も1519年に起きた己卯士禍(キミョサファ)に巻き込まれます。
これは本ドラマにも描かれたので、ご記憶の方も多いでしょう。

その一方で、これより50年ほど前の15世紀中盤、朝鮮王朝を代表する文化遺産である訓民正音(ハングル)が創製されました。

1446年に第4代王・世宗によって公布された訓民正音は庶民に文字をもたらしました。初期には多くの仏典が、そして16世紀に入ると、四書五経などの儒教の経典が盛んにハングルで刊行されるようになるのです。

サイムダンは祖父や父から漢字を習いましたが、多くの女性や庶民は漢字を読むことができませんでした。ハングルの普及はそんな一般の人々にさまざまな知識を与え、儒教の浸透にも一役買ったことになります。

この頃、芸術の分野にも優れた画家たちが次々に登場し始めます。
16世紀前後は朝鮮画壇が大きく花開いた時期なのです。

まず、サイムダンがお手本として慕った画員の安堅(アンギョン)(1410?~1464?)、彼と同年代の姜希顔(カンヒアン)(1419?~1464)。

そして、1505年生まれのサイムダンの5歳年上に当たる王族出身の李厳(1499~?)。
彼は本ドラマにイ・ギョムの作として登場する「母犬図」の作者です。
日本では完山静仲(かんざんせいちゅう)として知られ、江戸前期の画家、俵屋宗達にも影響を与えたといわれています。

この後、中国の浙派(せっぱ)の影響を受けた金禔(キムシ)(1524~1593)、李興孝(イフンヒョ)(1537~1593)。そして墨梅図の魚夢龍(オモンニョン)(1566~1617)、葡萄図の黄執中(ファンジプチュン)(1533~1593?)など、さまざまな画家が得意分野で活躍し始めます。

こうして18世紀には独自の手法で「金剛山図」を描いた鄭敾(チョンソン)(1676~1759)が登場、韓国の画風を確立していくことになります。その後はよく知られている金弘道(キムホンド)(1745~1806)、申潤福(シンユンボク)(1758~?)らが朝鮮の絵画をますます華麗に発展させていくのです。


Text:青島昌子(ライター、韓国語翻訳家) 
1990年代に韓国に留学。帰国後は翻訳、通訳として活動。韓流ブームとともに執筆活動に入る。翻訳書「スノーキャットのひとりあそび」(二見書房)共訳「韓国の歴史を知るための66章」(明石書店)「美男<イケメン>ですね フィルムブック」(キネマ旬報社)など。得意分野の本格時代劇を中心に、DVDオフィシャルライターとして「龍の涙」「ケベク」「チャン・オクチョン」「お願い、ママ」など、多数の作品に参加。

「師任堂(サイムダン)、色の日記」©Group Eight