蘭陵王とは

541〜573年、本名・高長恭。魏晋南北朝時代末期、北斉の文襄帝の四男として生まれる。564年、わずか五百騎で芒山の北周軍を破り、洛陽陥落の窮地を救った。このとき、蘭隆王は援軍を率いて城門にやってきたが、守備兵たちは彼が味方か判断できなかった。そこで蘭陵王が兜を脱いで素顔をさらしたところ、守備兵らが開門し無事に北周軍の包囲を破って勝利に導いたという。北斉の兵士たちはこの勝利と勇姿を称え、『蘭陵王入陣曲』という楽曲を作った。この逸話が変化し、「その美貌が兵士の士気を下げることを恐れ、仮面をつけて戦っていた」という有名な伝説が誕生した。
蘭陵王はその勇敢さと武勲ゆえに当時の皇帝(高緯)から疎まれ、573年、毒薬を賜りその生涯を閉じた。悲劇的な最期を遂げた蘭陵王だが、勇猛かつ美貌の名将として人気は高く、『蘭陵王入陣曲』は唐時代に日本に伝わり、現在でも雅楽の『蘭陵王』として愛され演じ続けられている。

蘭陵王とは
541〜573年、本名・高長恭。魏晋南北朝時代末期、北斉の文襄帝の四男として生まれる。564年、わずか五百騎で芒山の北周軍を破り、洛陽陥落の窮地を救った。このとき、蘭隆王は援軍を率いて城門にやってきたが、守備兵たちは彼が味方か判断できなかった。そこで蘭陵王が兜を脱いで素顔をさらしたところ、守備兵らが開門し無事に北周軍の包囲を破って勝利に導いたという。北斉の兵士たちはこの勝利と勇姿を称え、『蘭陵王入陣曲』という楽曲を作った。この逸話が変化し、「その美貌が兵士の士気を下げることを恐れ、仮面をつけて戦っていた」という有名な伝説が誕生した。
蘭陵王はその勇敢さと武勲ゆえに当時の皇帝(高緯)から疎まれ、573年、毒薬を賜りその生涯を閉じた。悲劇的な最期を遂げた蘭陵王だが、勇猛かつ美貌の名将として人気は高く、『蘭陵王入陣曲』は唐時代に日本に伝わり、現在でも雅楽の『蘭陵王』として愛され演じ続けられている。